富士谷 成章 ふじたに なりあきら
   

み佛の おなし道ふむ身なりせは
しるもしらぬも こひしかりけり
御仏の 同じ道踏む身なりせは
知るも知らぬも 恋しかりけり
6p×36.2p

元文3年(1738)生〜安永8年10月2日(1779年11月9日)歿
 江戸中期の国学者。号は層城,北辺など。京都の人で,東福門院御殿医皆川春洞の次男。儒学者皆川淇園の弟。
通称は専(千)右衛門、字は仲達、号は咸章・北辺。
 もと皆川姓で,19歳のときに筑後柳河藩の京都留守居役富士谷氏の養子となり,漢学を兄の皆川淇園に、和歌を有栖川宮職仁親王に学んだ。
 国学を学んで,言語を「名(な<体言>」「装(よそい<用言>)」「插頭(かざし<副詞,接続詞など>)」「脚結(あゆい<助詞,助動詞>)」の4品詞に分類するという日本で最初の体系的品詞分類を行なった。国語学者として国語の時代区分・品詞分類などに功績を残し、特に和歌の変遷を示した著書『六運略図』『北辺七体七百首』は、成章の死後、国学者本居宣長に賞賛された。
 また、語学書『挿頭抄』(副詞の研究書)『脚結抄』(助詞・助動詞および活用の研究書)は、文法の研究における画期的な成果であり、山田孝雄などの国語学者に多大な影響を与えた。
 著書に『かざし抄』『あゆひ抄』『非南留別志ひなるべし』など、歌集に『北辺成章家集』、詩集に『吟候社詩稿』がある。
 長男は富士谷御杖。

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